母の死を乗り越えて

先日、母は天国へと旅立って行ってしまいました。

姉と私に看取られながら、静かに息を引き取りました。享年77歳でした。

今までの恩返しの気持ちを込めて姉と二人で身体を綺麗に拭いて、綺麗な服を着せ、綺麗に化粧をしてあげました。

母は生前、いつ人が来てもいいようにと毎日綺麗に化粧をして、どんな時でも凛としている様な、そんな母でした。

私が小学校低学年位の頃だったでしょうか、父が事業に失敗し家を出て行ってしまいました。

母は途方に暮れて自殺を考えたそうです。

でもすぐに私達姉妹の顔が浮かんで、死ねなかったと言う話を私がもう少し大きくなってから聞かされました。

そこから母は【一回死んだつもりで頑張ろう!】

そう決心し、カウンター席が6席、ボックス席が2つある様な小さな店舗を借りてスナックの経営を始めました。

昼と夜が逆転し、やったこともない、初めてだらけの事ばかりで最初は不安との戦いだったと思います。

それでも常連のお客様が次第に増え、慣れて来たころ、ヤクザの方がお店にお客として乗り込んで来た時のエピソードを1つ書きたいと思います。

ヤクザが度々お客として来るようになると、周りのお客さん達が怖がって来なくなってしまうので、そのお店は次第に客が減り、潰れてしまうケースが殆どだそうです。

話のやりとりで、むしゃくしゃしたヤクザさんが隣のお客さんにナイフで脅した時の事です。

母は必至で【客に手を出したら私が許さないわよ!】【殺すなら私を殺しなさい!】と立ち向かって行ったそうです。

【それ以上変なマネするようなら警察呼びますよ】

そんなやり取りの中、母の気迫に負けたのか、ヤクザさんはそれ以降来なくなったそうです。

私はそんな事があったことをもう少し大きくなってから、姉から聞かされました。

私はそんな母に育てられました。本当に偉大な母でした。

そして、私の結婚を機に母は父の居所を探し、突き止め、今までの思っていた事や気持ちを手紙に綴り送っていました。

何て書いたのかは分かりませんが、何度か送ったのち、父から返事があり、

その手紙に心を動かされる様な内容だったのだと思いますが、父が私の結婚式に出てくれる事になり、それを機に家に帰って来る事にもなりました。

それまで私は父と一緒に生活していなかったので、父がいないのが当たり前でした。

家に父がいる事が最初は何だか不思議でした。

自分も又結婚して、今現在父親が存在している家庭と言う物を実際に体験して

【父親と言うこんな大切な存在が私にはなかったんだな】

と、今更ながらに気づく事も多く

自分の子供たちが父親と楽しく遊んでる光景は、たまに羨ましくなる事もありました。

【私の足りなかったものはこう言うものだったんだろうな】とそんな風に思った事もあました。

運動会なんかも、母も仕事があった為誰にも来てもらえず、寂しい思いも一杯しました。

でも今は、そんな家庭で育った事で父親のいない人の気持ちも多少ならずとも分かってあげられるでしょうし、

又、色んな意味でもたくましく育った気がしています。 ^^)

昨日、母が夢に出てきました。

あんなにカラーで鮮明な夢は初めてです。隣に父もいて二人とも笑っていました。

きっと今頃は、天国で父と母と、二人で仲良くしているだろうと思います。

そう願って病みません。

サロンをオープンした後で母の胃がんが見つかり、そこからは闘病生活が始まったので、私もサロンどころではなくなってしまい、

気持ちが塞がり気味で元気が出ず、あまり宣伝もしていなかったのですが、

これからは頑張ってサロンの方に専念して行こうと思ってます。

もっともっとアーユルヴェーダーの勉強も頑張ろうと思ってます。

きっと母も天国で応援してくれていると信じて、塞ぎこんでいてもしょうがないので、前を向いて前進して行こうと思います。

アーユルヴェーダーサロン

Shanti SouL

気合いを入れ直して再度openします(^^♪

昨日早速看板を見てシロダーラをやってみたかったと言うお客様がご来店して下さいました。

帰りは頭と肩が軽くなったと喜んで下さいました♪

喜んで頂き、私も嬉しかったです。有難うございましたm(_ _)m

身体が疲れて重だるい方、頭をすっきりさせたい方、癒されたい方等、

皆さんのご来店お待ちしております(﹡ˆoˆ﹡)

 

 

 

 

 

 

 

ABOUTこの記事をかいた人

長野県大町市在住
主な保有資格
・NESプラクティショナー
・ナチュラルフードコーディネーター
・薬膳コーディネーター
・免疫栄養学『分子栄養学』
・チャクラセラピスト資格取得
・アーユルヴェーダセラピスト資格取得
・エソテリック・ヒーリング初級中級コース取得

詳しくはこちら